久坂葉子展 2
久坂葉子略年譜
久坂葉子ポートレート
昭和6(1931)年生まれ。本名・川崎澄子。父・川崎芳熊、母・久子の次女。父方の曾祖父は川崎造船(のちの川崎重工業)創立者川崎正蔵、母方の曾祖父は旧加賀百万石、前田斉泰侯爵。
諏訪山尋常小学校、神戸山手高等女学校を経て、相愛女専音楽部ピアノ科中退。
昭和24(1949)年、六甲の島尾敏雄を訪問、同人誌『VIKING』に加入。久坂葉子のペンネームで、同誌に小説・詩などを発表。喫茶店パール・リバーでウエイトレスのアルバイト。翌25年、『VIKING』に発表した「落ちてゆく世界」が「ドミノのお告げ」と改題され『作品』に掲載、第23回芥川賞候補となる。
昭和26(1951)年、夏、新日本放送(NJB)、中山太陽堂の嘱託となる。
昭和27(1952)年10月、現代演劇研究所の創立に参加、久坂の詩「古蘭よ」が久坂みずからの作曲した音楽をバックに朗読される。11月、富士正晴が出した同人誌『VILLON』の創立同人となり、「華々しき瞬間」発表。「久坂葉子の誕生と死亡」完成。12月、戯曲「鋏と布と型」完成。大みそか、「幾度目かの最期」完成、午後9時45分、阪急六甲駅で三宮発梅田行特急に飛び込み、その生を閉じる。
昭和28(1953)年1月、徳光禅院にて葬儀。3月、『VIKING』『VILLON』共同「久坂葉子追悼号」刊行。6月、久坂葉子作品集『女』刊行。
久坂葉子資料展2 展示目録
会期中、一部変更することがあります。
富士正晴に宛てた年賀状
「古蘭よ」楽譜
倉敷・大原美術館行き(棟方志功らと)
新日本放送嘱託辞令
久坂葉子創作綴「子守唄 童話集」
久坂葉子作製(?)ネクタイ
久坂葉子の死の翌日(昭和28年1月1日)の富士正晴日記 拡大(300%)コピー
久坂葉子原稿「鋏と布と型」 昭和27年12月
久坂葉子原稿「幾度目かの最期」 昭和27年12月
『VIKING』『VILLON』共同刊行「久坂葉子追悼号」
久坂葉子作品集『女』(人文書院)
現代演劇研究所パンフレット
久坂葉子作製(?)ネクタイ
富士正晴「久坂葉子記事貼付帳」
島尾敏雄「死人の訪れ」(『新潮』昭和28年4月) コピー
前田純敬「自殺者」(『群像』昭和28年4月) コピー
富士正晴「死にいたるまでの記録」(『新女苑』昭和29年8月)
富士正晴「贋・久坂葉子伝(1)」(『近代文学』昭和30年1月)
富士正晴「エリザベス版久坂葉子伝(1)」(『VIKING』昭和29年12月)
富士正晴『贋・久坂葉子伝』(筑摩書房版、冬樹社版、六興出版版、講談社文庫、ちくま文庫、講談社文芸文庫)
富士正晴『贋・久坂葉子伝 小ヴィヨン』(冬樹社)
久坂葉子『私はこんな女である』(和光社)
『久坂葉子詩集』(萌木)
久坂葉子作品集『女』(六興出版)
『久坂葉子詩集』(六興出版)
『久坂葉子の手紙』(六興出版)
『新編 久坂葉子作品集』(構想社)
久坂葉子『幾度目かの最期』(講談社文芸文庫)
『神戸残照 久坂葉子』(勉誠出版)
『エッセンス・オブ・久坂葉子』(河出書房新社)
『久坂葉子全集』全3巻(鼎書房)
『小さな灯』25(久坂葉子特集) 昭和43年8月
『小さな灯』26(久坂葉子特集2) 昭和44年9月
『久坂葉子研究』1号 昭和54年11月
『久坂葉子研究』2号 昭和58年7月
『久坂葉子研究』3号 平成14年12月
『久坂葉子研究』4号 平成20年8月
新聞連載小説「坂道」切り抜き(『神戸又新日報』 昭和27年1月6日〜2月21日)
久坂葉子創作綴「沙羅の木」 昭和21年
久坂葉子創作綴「子守唄 童話集」 昭和21年8月
久坂葉子創作綴「南窗記」 昭和21年8月
久坂葉子原稿「晩照」
「晩照」掲載『VIKING』14号 昭和25年2月(表紙版画は富士正晴)
新日本放送勤務時の辞令、名刺、定期乗車券
富士正晴宛久坂葉子書簡(昭和25年12月5日消印葉書。昭和26年賀状。昭和27年5月15日消印葉書)
久坂葉子「古蘭よ」掲載『VIKING』42号 昭和27年7月
久坂葉子作曲、楽譜「古蘭よ」
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