【サティと富士正晴】
1. 「好きな音楽は? 『エリック・サティ』」30の質問への富士正晴回答(創樹社アンケート1987年)2. エリック・サティ(仏):ピアノ作品集(LP5枚組Victor)※杉本秀太郎寄贈(現在廃盤になっている貴重アルバム)
ピアノ;バルビエ 発売1973 作曲1913-14 <冨士重人氏 保管・提供>
3. プーランク & サティ(仏):ピアノ作品(カセットテープ) ピアノ;プーランク1950.2.11 ※大川公一寄贈
4. 大川公一宛富士正晴書簡「カセットテープへの礼状」1987年7月6日消印
(大川公一『竹林の隠者-富士正晴の生涯』より,影書房,1999.6.20)
5.島京子『竹林童子失せにけり』よりp.43-44,編集工房ノア,1992.6.1
6. 『富士正晴作品集三』解説:杉本秀太郎p.478-479,岩波書店,1988.9.6
7.富士正晴詩「人形の午後<Erik Satieに>(献辞)」1935.9作・『三人』第十一号(竹内勝太郎追悼号)所収
(サティ曲「木で作った太った人形の漫画*」をモチーフに詩作1935.9.5日記) *“スケッチとからかい”
8. 前田純敬「弔・富士正晴」1988.6.29寄稿(VIKING 453号1988.9.30)
※「サティ好きは久坂葉子に由来」説
9. 「前田純敬『弔・富士正晴』」批評(VIKING 454号1988.10.30「453号例会記」)
※7の「献辞」を根拠に前田説否定
10.富士正晴日記(サティ関係)
「俺が野人サティ、オネゼエの音楽、ベートーヴェンをきゝたがっていたのはここだ…俺は野人なのだ」1933.6.3
「カッターとディスクふきとレコードを三枚買って*…三枚予約してきた」1934.10.31
*コルトー演奏フランク・ラフマニノフ演奏ショパン・サティの「三つの小曲」
「サティの『三つの小曲』*を単純だが快い、きんせいのとれた曲として好んでゐる」1934.11.6
*1934.10.31購入
11.『ユリイカ 特集エリック・サティの奇妙な世界』(1974年5月号,1974.5.1青土社)
12.『エリック・サティ』ジャン・コクトー著/坂口安吾+佐藤朔訳 深夜叢書 1976.5.17発行
【原智恵子と富士正晴】
13. 原智恵子写真(『主婦の友』1933年2月号国立国会図書館提供) 原智恵子略年譜
14. 富士正晴日記(原智恵子関係)
「原チエ子の寫眞*を見た。…実に聡明で美しい奴だ。」1933.1.31 (原本)
*この写真を何度も後に見返している
「C*の顔の暗示で雄渾目指した詩をかく」同年2.23 (原本)。
*「Cへの手紙」と題する同年2.19日記があり、これらの内容から「C」は智恵子CHIEKOを指すと推察される
「原智恵子氏より短い手紙*。その中にも理知と賢明が見える」1933.2.22 *下記15の書簡を受けて
「勉強が第一。頭はその次。…原智恵子に何の卑下する事がある。」1933.2.28裏面
(参考「今晩九時から原智恵子のピアノ…リストのものとドビュッシイのものがよかった」1933.5.22)
「原智恵子がフランスへ又勉強しに行くために その学資をためようと一心になって…原智恵子を尊く思ってゐる」
1934.10.17
「原智恵子から返事の手紙*が来る。」1935.5.8 *下記16の書簡を受けて
「原智恵子のピアノをラヂオできく。…師につくためにフランスへ出発するそのお別れの放送だ。」1935.8.20
「ピアノを弾く腕には感嘆した…二つの腕の関係が美しかった。兎に角満足した。」1947.1.14
(参考「今年きくもの 原智恵子のピアノ 諏訪根自子のヴァイオリン 今年すること 小説二篇」)1947.1.12
(参考「日本のいつまでもつゞく堕落、結局良い音楽をきくといふこと位にしか救はれた瞬間はないのだらう」
1947.1.17)
15. 富士正晴宛原智恵子書簡(原本便箋1枚 昭和8年2月21日消印)
※初公開貴重資料
「御手紙と雑誌*御送りいただき有難うございます」
*同人雑誌『三人』。以後発行の度(例:11月6日)に送付した様子
16.富士正晴宛原智恵子書簡(原本便箋2枚 昭和10年5月7日消印)
※初公開貴重資料
「自分の行く道を、真すぐ、正しく…お互ひに強く、芸術に生きて行くことを祈ってゐます」
17.原智恵子宛正晴手紙(原本便箋4枚 1936.7.31付) ※日記帳の間に挟まれていたもので送付済かは不明
【榊原紫峰/竹内勝太郎と富士正晴】
18. 富士正晴日記(紫峰・勝太郎関係)
「私が『音楽や絵画なしに詩はすゝまない』と言ふと、『さうだ』と言って、音楽や絵画をやれとすゝめられる」
1934.5.2
「コルトーの弾いてゐるショパンの『二十四の前奏曲』を紫峰さんの所で師と三人で聞く。」1935.2.1
「紫峰さんの焦立やあせりは気の毒な心持を私にもたせる。シューベルトの未完成交響楽といふ映画」1935.3.2
「原智恵子が六月二十九日に華頂會舘でレシタルをやるといふ…師が黒部で遭難したことをきく。」1935.6.25
(参考「原智恵子をききに行けなかったことが少しだけ残念な気もした。」1935.6.29)
「師が人の絵をうってやるのがうまかったといふ奇妙な話。…ベルリオには悲劇的なものがあって良いといった」
1937.10.15
19.「美のうちそと―榊原紫峰『雪中孤鹿図』」(富士正晴『極楽人ノート』所収p.49-50より,六興出版1979.6)
「Ⅰ 贋・方丈記-絵かき志願」
(富士正晴『乱世人間案内-退屈翁の知的長征』所収p.54より,影書房1984.6.15)
20.「青春放浪」「小さな溶炉」(野間宏『鏡に挟まれて-青春自伝』所収p.89,132より,創樹社1972.12.25)
21.富士正晴『榊原紫峰』p.205,275,316,324,355-337より,朝日新聞社1985.9.20 (1937.4.23&5.30日記)
【レコード】
◇ワルトトイフェル(仏):スケーターズ・ワルツ, ワルツ女学生
指揮;シルクレット/演奏;International Concert Orchestra 1926.8.31録音,1927発売
◇ドビュッシー(仏):レントより遅く, 亜麻色の髪の乙女
グリーグ:即興的スケルッツオ vn;ハイフェッツ1926.12.29
◇ドビュッシー(仏):夜想曲(非売品) 指揮;ヴォルフ/演奏;コンセール・ラムルー 1929-33
※「海」1937.12.24,38.1.14聴く
◇オネゲル(仏):パシフィック231 指揮;オネゲル/演奏;グランドオーケストラシンフォニー 1929-36
※1936.4.19聴き4.21購入
◇ラヴェル(仏):スペイン狂詩曲(SP2枚組) 指揮;ヴォルフ/演奏;コンセール・ラムルー 1933
※「東洋への憧れを感じる」
◇ベルリオーズ(仏):ファーストの劫罰 指揮/演奏;同上1929-33 1937.5.16「幻想」とともに聴き、翌年購入
◇ベートーヴェン(独):月光(ピアノソナタ第14番) (SP2枚組) ピアノ;ヴィルヘルム・ケンプ1931
※1934.9.16購入
◇ハイドン(独):ハルモニー・ミサ(ミサ曲第12番) (LP)
指揮;バーンスタイン/演奏;ニューヨーク・フィル/合唱;ウエストミンスター合唱団 1973.2.19
◇ハイドン:チェロソナタ1番,カサド:親愛の言葉 チェロ;カザルス/ピアノ;ネット 1929.6.21
※カザルス2枚1934.11.19購入
◇シューマン(独):幼き日の思い出(子供の情景) ピアノ;アルフレッド・コルトー 1935.7.4
◇ヴェラチーニ(伊):ヴァイオリンソナタ ヴァイオリン;ティボ/ピアノ;ヤノポウロ 1936.5.27
◇リムスキー・コルサコフ(露):オペラ金鶏 指揮;ヴォルフ/演奏;コンセール・ラムルー1930
◇ストラヴィンスキー(露):春の祭典 指揮;バーンスタイン/演奏;ロンドン交響楽団1972.4.8
※ペトルシュカ1934.11.10購入
【音楽関係書籍】
◇『ドビュッシイ・音楽評論集』ドビュッシー著/大田黒元雄訳 第一書房 1933.6.12購入 ※訳が悪いと酷評
◇『音楽のために-ドビュッシー評論集-』F.ルジュール編/杉本秀太郎 訳 白水社1977.6.24訳者謹呈
◇『バッハの思い出』マグダレーナ・バッハ著/服部龍太郎訳 角川書店1952.1.30(1937.4.28旧版読破)
◇『ストラヴィンスキー』R.ショアン著/遠山一行訳 白水社1969.4.25
※「ストラヴィンスキイと私は気が合ふ」1934.11.10日記
◇『R・シュトラウス』クロード・ロスタン著/杉本秀太郎訳 音楽之友社 1971.1.30訳者謹呈
◇『パブロ・カザルス-喜びと悲しみ-』アルバート・E・カーン編/吉田秀和・郷司敬吾共訳 新潮社 1973.4.20
◇『華麗なる旋律-ルビンシュタイン自伝-』A.ルビンシュタイン著/徳丸吉彦訳 平凡社 1977.3.3
◇『音楽家訪問-ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ』アラン著/杉本秀太郎訳 岩波文庫1980.1.16訳者謹呈
◇『音楽のたのしみ-モーツアルトからサティまで-』粟津則雄著青土社 1983.10.1 著者謹呈
◇『20世紀の音楽-意味空間の政治学―』矢野 暢著 音楽之友社 1985.4.10著者謹呈
【音楽関係日記・詩・散文】
22.「第九交響楽をきゝました。…詩一つかきました」1932.11.20日記 ☞ 23.詩「響鳴」600字詰原稿2枚1932.11.20作
(参考「ベエトオフヱンは一つの宇宙だ。私も宇宙にならう。」1933.3日記,「第五をきく。涙が出る程のよろこび」1936.3.18日記)
24.<素材>「私を救ふ巨大な厚肉の鷹の両翼が青空に満ちて…」(Beethoven Symphonie N.9.)1934.3.24日記
25.「未乾*のヴェートーヴェンのですますくを見て…」(1933.6.6日記)
*船川未乾…竹内勝太郎と親交のあった洋画家
26.「未完成交響楽をきいた。いい詩が作りたい。」1932.12.2, 1933.11.2日記
27.「ドビュッシイをきゝたい。それもピアノ曲。今日30分程シューベルトの『ばら』をオルガンで弾いた」1935.10.8日記
28.詩『フランツ・シューベルトの死』400字詰原稿3枚 制作年不明5月4日
(1937. 4.19伝記読破、1938.4.14再読)
29.「私は一睡もしなかった。シュウベルトの墓標名を見て久しぶりでMORTELと私をむすびつける。」1938.8.30日記
30.「芸術に拠ってのみ感動的な原動力となり得る形像・対象…バッハのある作品の如きは感情…」
1933.11.26日記
31.「ストラヴィンスキイのL'Oiseau de feu(火の鳥)をきく。」1933年6月4日日記
※「管弦器の交響楽」1934.10.31予約購入
32.「僕は生きる。 音楽のために生きるのだ(ベルリオーズ)」引用1933.718日記
※既出1937.10.15日記参照
33.「(ベートーヴェン)コルトー、チボー、カザールのトリオをきく」1933.10.17,33,11.2日記
※大いに気に入っていた演奏
34.「ベートーヴェンの(ヴァイオリン)コンチェルト六十九。九十六?*をきいた。」1933.11.16日記
*正しくは六十一
35.「ドビッシイの曲をきいてゐると、これまで『火の鳥』と『牧神の午後序曲』しか聞いたことは無いのだが…」1933.12.13日記
36.「オネゼエの音が雑音と似てゐる外見にも不拘、実はそれは音楽的音にまで燃焼しきって生み出した…」1934.11.14日記
37.(ノオト)「音楽は私に内らから感情を動かせ、湧かせ、窒息させる。気持ちの苦しさ…(イベールの寄港地)」1936.12.27日記
38.「サンサーンの動物の謝肉祭(レコード)、ベートーヴェン運命(ラヂオ)…ベートーヴェンの愛の巨大。」1938.3.12日記
39.「熟視することが沈潜がつまりは生活を清め…ラフマニノフのピアノ・ソロが我々の生活を一変する光となる」1938.5.28散文